Daily Cafe(月)トピックライブラリー「仙台空襲と終戦の日」

DailyCafe(月)担当の佐藤明子です。

13日のトピックライブラリーは、仙台の俳句誌「澪」の代表発行人の佐藤拓郎さんから、俳句を通して「仙台空襲と終戦の日」についてお話を伺いました。
d0029276_10303120.jpg
仙台の上空には敵機が8回来ていて(偵察2回・空襲6回)、その中で1945年7月10日は「仙台大空襲」と言われています。7月10日未明0時3分に空襲が始まり、2時間ほどB29が123機波状攻撃で焼夷弾が10961発、高性能爆弾8個が仙台を襲い、仙台市の中心部が火の海になったそうです。

今年7月10日、仙台市戦災復興記念館で、朗読会が行われました。その朗読会を聴きに行った、現在84歳の佐藤拓郎さんが詠んだ句は、
 「白髪の 並ぶ7月の 朗読会」
 「冷房裡 聴く空襲の 朗読詩」
 「焼夷弾 一万余発 夏夜空」
 「七月や 給食「すいとん」 具だくさん」

そして、仙台大空襲当時、仙台の上杉山通国民学校の四年生だった加藤尚子さんの一句
 「七月の 夜空に撒かる 焼夷弾」

「あの夜、父の位牌を持って、防火用水にざぶりと漬けた毛布を頭から被って、母と姉と、知人のいる七北田まで走り続けました。道中いっぱいに人が走っていたことや
頭の上から焼夷弾の花火のような光が降ってきたことなど断片的にありありと思い出すのです。焼け野が原などと言って居りましたが、生まれ育った家は何一つ
残らず消失し、お隣もお向かいも一夜にして何もなくなってしまいました。私の花火嫌いは、あの空襲の空から降る焼夷弾の光のせいだと
勝手に思って居ります。」と現在82歳の加藤さん。



また、73年前の当時仙台一中二年生で勤労動員もしていた現在86歳の田丸満州男さんは、仙台空襲と終戦の日の記憶を俳句に。
 「眼裏に 七月十日の 燃ゆる空」
 「焼け跡の 足裏の記憶 終戦日」
 「玉音を 聞きし校庭 豆畑」

田丸さんは、仙台空襲の目で見た記憶と、仙台空襲後の靴底から伝わる焼け跡の熱気を足裏で感じた記憶を、俳句に詠みました。
また、終戦の日、集まって聞いた玉音放送の内容は、理解できなかったそうです。当時、校庭は、半分が麦畑でもう半分は豆畑だったそうです。


佐藤さんは、戦争体験をした方々それぞれの記憶を、様々な手段を通じて残して伝えていくべきと感じていらっしゃるそうです。
普段の生活の中で話を聞くことがないので、こういった終戦の日の8月15日や仙台空襲の7月10日といった機会に、話を聞いて俳句でまとめておきたいと話していらっしゃいました。





d0029276_10291227.jpg






by fm797izumi | 2018-08-14 11:58 | ★ゲスト★
<< 泉区民ふるさとまつり特別番組の... 8月13日(月)~16日(木)... >>